【Memo】東北地方太平洋沖地震

 地震発生から帰宅までのログです。

2011.03.11
14:51 トイレで用を足している最中に地震疲労していたので目眩かと思ったら大きな揺れ。手洗い途中で断水。
14:55 フロアに戻ると電源断でマシンは全て強制停止。厳しい。
15:15 職場の電話がPCのソフトフォンとIPフォンなので使い物にならない。
15:30 安否確認システムにデータ投入のため、フロアセキュリティドアのカードリーダを整列利用。
15:40 Twitterワンセグから情報収集しつつ待機。FacebookTwitter連携が死んでいるからか動きがない。
16:30 10km圏内は徒歩帰宅の許可が出る。滞留者も多数。
17:00 買い出し。パン屋はほぼ売り切れで、切る前のパン一本と飲料を購入。駅前のスーパー、コンビニ、飲食店は軒並み閉店。15分位歩いたセブンイレブンで手動レジで販売を継続。リッツクラッカー、柿の種、チョコレートなど若干の菓子を購入。
18:00 構内アナウンス。開始ジングル、1分の間、終了ジングルとなり一同肩透かし。
18:20 SC棟7Fの職場消防隊メンバーを招集確認。
18:30 停電中でも休憩時間アナウンス。「省エネルギーのため消灯して下さい」の定型放送に一同苦笑。
19:24 防災センター報:食事はまだ準備中。
20:00 防災センターの動きが思わしくないので暫定事本防災センター設置。滞留者確認、提示連絡体制、フロア間ノウハウ共有を図る。
20:10 物資確認。フロア防災品のラジオ付き懐中電灯は電池切れで使えない。入館半年のビルなのに。手帳と鞄からファーストエイドキットを供出。
21:15 フロアのルートノード収容室扉がパニックオープンで開いている。フロア唯一の通電コンセントがあり、充電中の携帯電話多数派。
21:30 防災センターに電池をもらいに行く。炊き出し配給もようやく入手。
22:00 踏切は電源故障で常時警報。車が通る度に踏切番の方が竿を持ち上げて流している。横の自動販売機は通電、販売中。
23:00 会議室にフロアで唯一のハードフォンがあることが分かり、母に連絡。容易に繋がり、ようやく安否が確認できた。弟1も安否確認。弟2は3時間歩いて帰宅とのこと。
00:00 貨物用エレベータ横に非常用コンセントを発見。当然、充電器の群。
00:30 就寝。宇宙服にも使われるアルミ蒸着ポリエステル樹脂シート「スペースブランケット」の支給があり、床に敷いてくるまって寝る。
2011.03.12
05:50 起床。スペースブランケットは防寒には良いが、クッションがないので踵が痺れた。
06:00 鉄道の復旧状況を見て、Gメンバーに帰宅許可通知。
08:00 残存食料も全てなくなる。
08:30 電源は回復。PCは無事起動したが、最後に編集していた文章は消失。
09:00 防災センターより通達。交通機関が漸次回復模様のため、各位自己判断で帰途につくこと。フロア滞留・宿泊は可能だが今後の配給はなし。
13:30 最後の滞留メンバーの帰途交通機関が再開との報。あと少し。
15:38 SBU所属員全てが帰途についたので撤収。
16:10 通勤路線が使えないので第二最寄り駅へ。本屋とパン屋が開いてたので買い読み買い食い。
17:15 帰宅。